晒し中です あの日の戻り橋                               平城山 健心 「冬はやっぱり鍋よね。どう、おいしいでしょ?鶏肉は体にもいいんだから。」 ミナエ先生はそう聞いてきた。でも僕はすぐに答えることができなかった。 鶏肉を食べるのは初めてだったし、それにどうしても父さんのことを思い出してしまう。 でも何も答えないのは悪いと思ったのでとりあえずコクンとうなずいておいた。 先生は満足そうに僕をみていて笑っていてくれた。もしかしたら今も僕は幸せなんじゃないかと思った。 悲しい悲しいことがあったから幸せなんてもうないと思っていたんだ。 僕が十一歳の秋の終わりのことだった。まだ家族三人で暮らしていた時だった。 父さんは優しく笑う人でよく双眼鏡片手に僕を連れて鳥の観察に連れて行ってくれた。 鳥が大好きだったみたいでそれが高じてか食事に鶏肉を出すことを絶対にさせなかった。 僕も鳥を見るのが好きだったし別に食べたいとも思ってなかったから特に問題はなかった。 ある日いつもと同じように父さんと鳥の観察に行った。 流れ橋という所でよく行くところだった。 「父さん、あの鳥なんかかっこいいね。大きくてのんびり飛んでて。」 「お?あれはトンビだな。父さんはあの鳥が大好きなんだ。ほら、聞こえたかい? トンビの鳴き声は変わってるだろう。でも父さんはあの鳴き声がだいすきなんだ。」 「うん、なんか聞いてると安心するよ。」 いつもと同じようにいろいろ教えてもらって手をつないで帰る。そのはずだったんだ。 橋から双眼鏡をのぞいていた父さんがほんの少し身をのりだした。 たったそれだけだったんだ。 それだけで世界は変わってしまった。父さんが橋から落ちてしまったのだ。 しかも運悪く首からかけた双眼鏡が橋の杭にひっかかってしまった。 後ろから見ててもくるしそうだった。助けたかったけど、でも僕からは届かない。 届いても僕の力では父さんを引き上げるのは無理だ。 周りには誰もいない。誰も助けてくれない。とにかく大声をだして走り出した。 ようやく大人の人をつれてきたときには父さんはもうつめたくなっていた。 僕の住んでいる町では葬式の時必ず渡る橋がある。「一条戻り橋」という。 いろんな伝説の残っている橋で安倍清明の式神を隠していたのもこの橋の下らしい。 特に印象にのこっているのがその昔、 ケンカ別れしたまま暮らしていた父子が仲直りをすることなく父親が死んでしまった。 葬儀の参列でこの一条戻り橋を渡った時に父親が一時的に生き返り その息子と仲直りできたというお話だ。 僕は父さんに謝りたかった。 助けられなかったことを。今までで一番一生懸命お祈りをした。 「どうかお父さんに謝らせてください」と。でも奇跡は起こらなかった。 何もおこらないまま式は滞りなく済み、気づけば父さんはもうお墓の中にはいっていた。 奇跡は起こらなかったけど不運はまた起きた。お母さんがいなくなってしまったのだ。 「母さんはしばらくでかけてきます。お金のことは心配いりません。 お父さんの保険金のうち少し置いていくからしばらくそれでくらしなさい」 元々あまり家にいなかった母さんだったけど僕一人置いてどこにいっちゃったんだろう。 僕はご飯なんか作れないのに。 お金だってこんなにたくさん置いてしばらくっていったいどれくらい長いんだろう。 母さんがどこかにいってしまって数日後、家にミナエ先生がやってきた。 先生は僕を抱きしめて言った。 「私の家においで。一人じゃ寂しいでしょ?」 ミナエ先生は今年先生になったばかりらしかった。いつも一生懸命で、 肩までのびた栗色の髪を僕は綺麗だなっていつも思っていた。 一人じゃ寂しいのもあるしミナエ先生と一緒だと安心だと思ってお世話になることにした。 ミナエ先生は家ではいつも優しかった。学校では悪戯なんかをするとよく怒られたけど、 家では一度も怒られなかった。 もっとも、お世話になってる身で悪戯なんかする気がしなかったのもあるかもしれない。 そんな風に平穏な日が続いていたある日、家に男の人が訪ねてきた。 その時僕とミナエ先生は鶏鍋を一緒に食べていた。 鶏肉の感想を聞かれてコクンとうなずいて少ししたときだった。 少し乱暴なノックの音がした。先生は急に不安そうな顔になった。 なんとなくだけどよくないことが起こるような気がした。 ドアの向こうからは大きな声で「ミナエ!おるんやろー?開けんかい!」と聞こえた。 ミナエ先生は仕方ないといった風にドアを開けた。 「何?何か用なの?あなたとはもう会わないってこの前いったはずだけど?」 「俺はまだ納得しとらんのや。あとまた少し金かしてくれへんか?」 「あなたかりるっていっといて一度も返したことないじゃない。」 「そのうちちゃんと返すがな。それよりなんやええ匂いしとるな。あがらせてもらうで」 「ちょっと、勝手に入らないでよ!」 ミナエ先生を無理やり押しのけて入ってきた男は背は少し高めの人で ごついかんじではなかったけど目がいやな感じのするヤツだった。 その男は僕を見つけるとうさんくさそうに視線を頭から足まで往復させたあと言った。 「なんや、このガキは?」 「私の生徒よ。事情があって今うちで預かってるの。あなたには関係ないわ。」 「なんやえらい苦労しとるやん。こんなガキの世話なんてな」 「ひどいこと言わないでよ!この子はとってもいい子なんだから それに今この子と食事中なの。私はもうあなたには用はないんだから帰ってよ。」 「なんや、こんなクソガキに食わせるもんはあんのに俺にはなんも出さへんのかい」 「そんなひどいこと言わないでっていってるでしょう!とにかく帰ってよ!」 「身もふたもあらへんな。俺はまだ納得しとらんのやっ!わからんのか!」 そういうなりいきなり男はミナエ先生の髪をつかんだ。先生の綺麗な髪を。 僕は突然のことに唖然としたけどすぐ男の足に飛びついた。 「ミナエ先生になんてことするんだ!先生にひどいことすると僕がゆるさないぞ!」 「ほう、いっぱしのナイト気取りやないか。 でもな、大人の話にガキが入り込んでくんな、ボケが!」 気づいたら僕は部屋の壁に吹き飛ばされていた。自分が何をされたかわからなった。 「なんてことするのよ!こんな子供にこんなひどいこと!出てってよ!」 「お前もわからんやっちゃなぁ!」 次の瞬間先生は顔を押えてうずくまっていた。男がミナエ先生の顔を平手打ちしたのだ。 「俺かて好きでこんなことしてるんやないで。 お前を愛してるんをわかってもらうためにしてるんや。 まぁ今日はこんくらいにしとくわ。邪魔したな、またくるで。」 いつも綺麗なミナエ先生の部屋がめちゃくちゃになっていた。 先生は泣きながら僕を抱きしめて言った。 「ごめんね。私のせいであなたにまでこんなひどい目にあわせて。ほんとにごめんね。」 僕はミナエ先生を抱きしめ返して泣いた。痛かったからじゃない。 ミナエ先生を守れなかったことが悔しかった。 謝りたかったのはぼくだったのに先生に謝らせてしまったことが悔しかった。 僕にもっと力があればミナエ先生だって守れたのに。父さんだって助けられたのに。 悔しくて悔しくて涙が止まらなかった。 それ以来また少し生活がかわった。。 学校では何も変わらないけれどあの男が時々家にやってくるようになった。 男はどうやらミナエ先生に何度もお金をかりにきているようだった。 何も起きないこともあればひどいことをされることもあった。 ミナエ先生は男が来ると僕を押入れに隠してじっとしているようにいった。 僕にはミナエ先生を守る力がない。 時々聞こえてくるミナエ先生の泣き声を聞くたび僕は悔しくて悔しくてたまらなかった。 力がほしい。ミナエ先生を守れるだけの力が。父さん、どうしたらいいの? ある日の夕方、僕は父さんが死んでしまって以来いっていない流れ橋に散歩にいった。 なんとなく父さんと話ができるような気がしたのだ。どうしたらいいか聞きたかった。 ミナエ先生を守れるだけの力をください、そう何度も願った。 今はミナエ先生さえ守れたらそれでよかった。 でもいつものように辺りは静かで何も起きなかった。 ミナエ先生の家に帰る途中戻り橋によった。 いつもは通らないけどなんとなく寄ってみたくなったのだ。 戻り橋はなにかいつもと違う雰囲気がした。 霧みたいなのがかかっていてあたりは夕闇なのにそこだけ少し明るい。 でも特に気にせずに渡った。橋を渡った先の駄菓子屋でなにか買おうと ポケットに手を入れようとしたときに異変に気づいた。 僕の手ってこんなに大きかったっけ?それにさっきまではいていたズボンと違う。 きていないはずの上着もきている。なによりもいつもより地面が遠い気がした。 カーブミラーをのぞいて僕はびっくりした。背がものすごく高くなっている。 多分ミナエ先生より大きい。急いで公衆トイレに入って鏡をみてさらにびっくりした。 僕の顔が僕の顔じゃない。父さんに似ているけど少しちがう。 まるで僕が大人になったみたいだ。そこで僕はさっきのことを思い出した。 「力をください」 そう強く願ったことを。もしかしたら願いがかなったのだろうか? これならミナエ先生を守れるかもしれない。 ミナエ先生の家の前まできたときまたあの男の声と先生の声が聞こえた。 あいつ、またミナエ先生にひどいことを!許せない。 僕は家の中に駆け込むと男の肩をつかんで引き寄せた。 「おい、お前!女の人にそんなひどいことしたらだめじゃないか!」 男はぽかんとした顔をしていたが次の瞬間ものすごく怖い顔つきで叫んだ。 「なんじゃい、ワレ!お前なんかに関係ないやろが!放さんかい!」 男は僕の手を肩から放そうとした。でもできなかった。 この男はそんなに強い男ではないらしい。それとも僕が強すぎるのだろうか。 徐々に怯えの色が見え始めた男に僕は言った。 「今まで散々ミナエ先生をひどい目に合わせた罰だ。」 僕は力の限り男を殴りつけた。 男がミナエ先生を殴った回数と同じくらいかそれともそれ以上か。 しかしミナエ先生を目にしたとたん手が止まった。 ミナエ先生は部屋の片隅で震えていた。怖がっている。 それをみて僕は男を殴るのをやめた。最後に胸ぐらをつかんで低い声で言った。 「もう二度とここには来るな。  またミナエ先生にひどいことしたら僕がもっとひどい目にあわせてやる!」 男の目は完全に怯えに変わっていた。手を放すとよろめきながら逃げていった。 「ミナエ先生、もう大丈夫だよ。あいつはもう来ないはずだから。」 「・・・」 「どうしたの?ミナエ先生、もう怖がらなくてもいいんだよ。」 「・・・助けてくれてありがとうございます。でも・・・」 「あなた、いったいどちらさまですか?」 僕はその言葉を聞いて呆然とした。そうだ。今僕は大人の姿なのだ。 父さんに似た顔だから僕のいつもの顔の名残はあるかもしれないが 普通子供が急に大人になったなんて思うはずがない。 どう説明しても信じてもらえるとは思えない。でも最初から説明すればあるいは・・・ しかしミナエ先生が僕を不審そうにみているのを見ているのに気づいた。 そうか、見ず知らずの男がミナエ先生の名前を呼んでいたらそれは当然かもしれない。 僕は説明するのをあきらめた。 とても悲しかったけどなるべく平気なふりをしてミナエ先生にいった。 「いえ、悲鳴が聞こえたからなにかひどいことが起こってるとおもったんです。 突然失礼しました。それではこれで。いつかまたどこかでお会いできるといいですね」 「・・・ええ、そうですね。本当にありがとうございました。」 先生はどこか不思議そうな顔をしていたが 僕を玄関まで送ると改めて礼をして家の奥にきえていった。 くそっ、これじゃ意味がないじゃないか。 先生を守れてもミナエ先生の側にいられないんじゃ意味がない。 どうやったら元にもどれるのかな。それに本当に僕は先生を守れたのだろうか。 あの男が二度とミナエ先生の元を訪れない保証はどこにもない。なにか手をうたないと。 何日かそこら辺をぶらついてそして自分の家に帰った。 あいつがいつもミナエ先生のところにお金をかりにきていたのを思い出したのだ。 そして父さんの保険金を新聞紙で包んでまた家を出た。あの男を捜しに。 幸い男は割りとすぐに見つかった。公衆トイレに入っていくのを見かけたのだ。 僕も後をつけた。幸いほかには誰もいなかった。 俺は小用を足している男の背後にたちしばらくまった。 男が用を足し終え振り返った時に男は怖れと怒りの混ざったような表情をうかべた。 やっぱりあれだけでは完全に守りきれたとはいい難かったようだ。 「お前はミナエんとこにおった・・・何の用じゃい。」 「こいつをお前にやる。だからもうあの人のところには行くな、絶対にな。」 「なんやこの包みは・・・!!こないにようけもろてもええんか?」 「ああ、かまわない。だがかわりに誓ってもらう。二度とあの人のところへはいくな。  もし誓いを破ったら前よりももっとひどいことになる。」 「ああ、わかった、もうミナエんとこには行かん、約束する」 「用はそれだけだ。もう二度と会いたくないがそれじゃぁな。」 男は呆然としていたが札束を数えだした。 多分これで大丈夫だろう。 ミナエ先生は守れた。後はどうやってもとの姿にもどるかだ。 もしかしたらもう戻れないかもしれない。いや、まてよ。 そうだ、こうなったのはたしか戻り橋を渡ったときだった。もう一度行けばもしかしたら・・ 戻り橋に着くとちょうどあの時と同じ夕闇だった。 しばらくすると周りより若干明るい霧のようなものがでてきた。 僕は元に戻れることを願って橋を渡った。 「もう!何日もどこにいってたの?先生すっごく心配したんだから。」 「ごめんなさい、僕あの男の人が怖くて自分の家に帰ったりいろんな所を逃げてたんだ。」 「それならそうといってくれればいいのに。  あなたのことは先生が守ってあげるから安心して。  それに最近何日もあいつこないしなんかもう大丈夫だと思うのよ。  あ、そうだ、警察にだした捜索願とりさげないと。  いい?君も一緒に警察にいって謝るのよ?」 僕は元の姿に戻れた。戻り橋という名前から本来は戻る方が自然におこるのかもしれない。 大人になったのはもしかして父さんが助けてくれたのかもしれない、いや、きっとそうだ。 こうしてまた平穏な生活に戻ることができた。 先生とあの男は昔少しの間だけつきあっていたらしい。 町でチンピラに絡まれたのを助けられたそうだ。 でもあとでわかったらしいのだがそれは男が仲間と一緒にやった芝居だったようだ。 男は働きもせず本当にどうしようのないやつだったようだ。 それで別れたのだが男はあいかわらず働かないで それでミナエ先生の家にしつこくお金をかりにやってきたということだった。 平穏な日々がしばらく続いてもうすぐ小学校を卒業という時期になった。 中学に行くようになってもミナエ先生は一緒に暮らそうといってくれた。 ぼくはずっと先生といられると思っていた。それがたまらなくうれしかった。 でもまた状況がかわった。悪い方向ではないのだけど。 母さんが帰ってきたのだ。 母さんはミナエ先生にお礼をいって僕の手をつかんで家に帰った。 ぼくはミナエ先生と離れるのがすごく悲しかったけど心配させたくなかったから 元気なふりをして手をふった。何度も振り返りたいと思ったけど、 振り向いたらミナエ先生のところに走り出したくなりそうだったから がまんしてずっとうつむいていた。道路が涙でにじんで見えた。 「長いこと留守にしてわるかったなぁ。母さんも一生懸命やってんで。  それでな、あんたに紹介したい人がおるんよ。」 誰だろう。ぼくに紹介したいって人って。 「それよりあんた、あんなにようけ父さんの保険金あったのに何につこうたん!」 「わからない、きづいたらほとんどなくなってた。」 「そんなええ加減な。あとできっちり説明してもらうからな。  そんな話は後や、この人が今日からあんたのお父さんやで」 ぼくの家の玄関に着いたとき母さんが男の人をぼくに紹介した。 え?今なんていった?新しいお父さん?母さんは父さんのこともうわすれちゃったの? 「よう、坊主、今日から俺が坊主のお父さんや。仲良くしよな。  ん?坊主、どこかであったことあるか?」 そういってきた男の顔を見て僕は愕然とした。 僕が、大人になった僕がやっつけたあの男だった。 ミナエ先生から守るためにやっつけたあの男だった。 もしかしてミナエ先生の時と同じように母さんをチンピラからまもって それで母さんに恩を売ったのだろうか。いや、きっとそうに違いない。 「いえ、会ったことないです。」 「あら、あんたの持ってる金とうちの旦那の保険金足したら元の金額や。  やっぱりなんか縁があったんかもなぁ」 母さん、それ違うよ。縁なんかないんだ。 だってそいつのもってるお金は僕がそいつに渡したお金なんだから当たり前なんだよ・・・ これから先、どうなるんだろう。男はきっと働かないつもりだろう。 僕や母さんにひどいこともするかもしれない。いったいどうしたらいいんだろう。 あのときの力はミナエ先生を守るためだけのものだった。 奇跡はそう何度も起こらないだろう。今までだってずっとそうだった。 奇跡の変わりに不運が起こるんだ。ああ、本当にこれからどうしたらいいんだろう。 僕はこれからのことを考えると目の前が真っ暗になった。 でもひとつだけ願った。ミナエ先生だけは幸せでありますように、と。