夜、雨、放送室にて。

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 夕方からぽつり、ぽつりと降り始めた雨はやがてどしゃ降りとなった。雨のせいか空は暗く、もともと暗い校舎をさらに暗くした。
「うわ…ひでぇ雨だな」
窓を横目に廊下を歩きながら、その男子生徒は呟いた。
「止むまで時間は掛かりそうだな…」
そう言って、手に持っている2本のペットボトルを見た。時計の針もちらりとみると、8時をそろそろ過ぎようとしていた。
「あと…1時間。長くても…2時間…か」
呟きながら廊下を歩き、やがてある部屋の扉を開けた。
…………

………

……

「ほれ、頼まれた烏龍茶」
「あ、ありがとー。…随分時間掛かったね?」
ペットボトルを手渡した女子生徒が尋ねる……が、その視線は彼を向いていない。彼女の視線はひたすらパソコンに注がれてい た。パソコンのディスプレイにはいくつかの映像が映し出され、彼女はそれを見比べつつ、
「んー…こっちが画的に良いかな? ちょっと暗めだけど」
などと独り言を呟き映像を並べているようだった。
「ああ…お前外見た? 結構どしゃ降りだぞ」
女子生徒から離れた場所に座って自分の為に買ったスポーツドリンクを飲みながら男子生徒は答えた。
「嘘っ!?」
女子生徒は慌てて椅子から立ち上がって窓から外を眺め、
「うわあ…当分帰れないじゃん…ここらで切り上げようと思ったのにい……」
と落胆の声を上げた。
「諦めて作業に戻っとけ」
「お前が言うな。――ってか、諏訪坂。お前こそ編集捗ってんの? そんなとこでまったりしてるけどさ」
「んー? 3時間前から微動だにしてませんが」
「早く戻れ」
「分かってる分かってる。どうせこの雨だ、残りあと1時間くらいはやってやるさ」
男子生徒――諏訪坂と呼ばれた彼は面倒くさげに立ち上がり、女子生徒が作業をしているパソコンの隣に置いてある別のパソコ ンの前に腰かけた。
「……なあ波崎」
「何?」
女子生徒――波崎はやや面倒臭そうに答えた。
「3時間前からフリーズしてるパソコンはどう扱えば良いと思う?」
「……バックアップは?」
「無い」
「諦めてやり直し、ね」
「うう……やっぱり?」
「当たり前じゃん。……もしかしてお前、いつか復帰することを祈りながら3時間グータラしてたの?」
「ご明察」
「あのねぇ……」
呆れたように波崎が溜め息をついた。
「……いつまでもこうしてたって始まらないでしょ、ほらっ」
不意に波崎が身を乗り出して諏訪坂の操作するパソコンのキーボードを奪い、いくつかのキーを押した。すると、ディスプレイは一瞬ブラックアウトしたものの、やや間を置いて見慣れた壁紙が表示された。
「あ…ああああっ!? なんて事をっ!? 俺の今日の努力の成果がっ!」
「努力の成果って…お前、今日は1時間かそこらしか作業してないじゃん……それにあのまま放っておいたって直りゃしないんだから」
「けどよぉ……あまりにも無慈悲じゃないか波崎さん」
「無慈悲でもご無体でも結構。……ほら、さっさとやり直さないと本気でデッドライン越えるよ?」
「うう…それも勘弁だ」
泣きそうな目で渋々諏訪坂はいつも使う動画の編集ソフトを立ち上げて作業を再開し始めた。
…………

………

……

 最初こそ雑談でもしながら――もっとも、諏訪坂が一方的に話し掛け、それを波崎が適当に受け流していただけなのだが――2人は隣り合って各々のパソコンと睨み合いをしていた。だが、しばらくすると会話も消え、部屋に響くのは2人がキーを叩く音とパソコンのモーター音、そして外から聞こえてくる雨の音だった。一度それぞれの世界に入れば周りを忘れてひたすら作業に没頭するものである。
 不意にコンコン、というノック音が聞こえ、2人がまるで我に返ったかのように反応した。
「まだやってたのかい? もう帰りなさい」
壁一つ隔てたドアの方から、警備員の人の声がした。それに対して「そろそろ帰りまーす」などと適当な返事をしておいて、波崎は尋ねた。
「……今何時?」
「ん? …今は――うわ、マジかよ」
「何時なの?」
「……10時25分」
「嘘っ!?」
「どうりで警備のおじさんも来るわけだ……」
「うん……帰る?」
「そりゃ時間が時間だしな。…そうだ、雨は?」
「見てみる」
波崎が立ち上がり、窓のカーテンを開けた。
「あ……雨、上がってる…」
外を見ると、先程まで空に立ちこめていた暗雲はどこへやら、いつの間にか夜空は晴れ上がり、月が夜空を照らしていた。
「またいつ降るか分からん。ほら、帰り支度するぞ」
「…分かってるてば」
2人はそれまで向き合っていたパソコンの電源を落とし(もちろん事前に保存はしてある)、それぞれの鞄の置き場に向かった。
「どう? 今日の分の遅れは取り戻せた?」
「そりゃあれだけ集中してやれば補って余りあるくらいは出来たさ。……そっちは?」
「うーん…まあこのペースなら締切直前に死線を見るのは避けられそうだけど」
「ならお互いそこそこ順調、ってとこだな。…さて、そろそろ出るぞ? 後に出た方が鍵を返すんだからな」
「あっ! ちょっと待って! 先ズルいっ!」
スタスタと部屋から出ようとする諏訪坂を慌てて追い掛ける波崎。……結局、部屋の鍵は2人で返しに行ったのだが。
「…あ、波崎」
「ん? 何?」
昇降口で下足に履き替え帰ろうとする時、不意に波崎は諏訪坂に呼び止められた。
「……お前、校門前で待ってろ。俺がチャリ持ってくるから」
「何? 乗っけてくれんの?」
「残念ながら俺のチャリンコは後ろに荷台が無いから無理だな。……まあアレだ、ほら、時間も遅いし…駅まで送ってやるよ」
「ん? 心配してくれてんの?」
「べ、別にお前を心配してとかそーいうんじゃなくてだな…ほら、まあ…その…夜道の一人歩きは危険なんだし…当然じゃないか?」
どこか必死な諏訪坂の様子に可笑しくなったのか、波崎はくすりと笑った。
「はいはい、常套句を見事に使ってくれてありがと。……まあその誘いにはありがたく甘えておこうかな」
「そっか…じゃあ待ってろ」
そう言って諏訪坂は自転車置き場の方へ向かった。……心なしかスキップしてるようにも見えないこともないが、小走りしてるようにも見えた。一方の波崎も校門に向かって歩き出した。

「…待たせたな」
2,3分して諏訪坂が自転車に乗ってやって来た。
「…ありがと」
「別に礼はいらんよ。…じゃあ帰るか」
「そうだね」
そして、いつの間にか自転車から降りて押して歩く諏訪坂と波崎は帰っていった。夜空は雲一つなく、澄み渡っていた。


〜了〜
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